2025年4月6日日曜日

Various Artists:『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』


 70年代後半にイギリスの音楽界にデビュー後、オルタナティブ・ロックや後のブリット・ポップ界でリスペクトされているポール・ウェラーが、自ら選曲したソウル・ミュージックのコンピレーション・アルバム『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』(CDTOP 1655)をACE RECORDSからCDとアナログLPでリリースした。
 ポール・ウェラーはその音楽性だけに留まらず、ファッションやジャケット・アートなど、自身が影響を受けた60年代のムーブメント” Mods(モッズ)”を源流としたセンスにより、世代を超えて多大な影響力に与えており、”モッド・ファーザー”と称されている。日本の音楽業界でもWACK WACK RHYTHM BAND(ワック・ワック・リズム・バンド)の山下洋や、元Cymbalsで現TWEEDEES(トゥイーディーズ)沖井礼二など、筆者とインタビューで交流のある、拘り派ミュージシャンの間でも信奉者が多く、その影響力は母国イギリスを超えて世界に広がっている。

収 録 曲
1 God Made Me Funky - The Headhunters
2 Spanish Twist - The I. B. Special
3 Breakaway – The Valentines
4 Top of the Stairs - Collins & Collins
5 Don't Let the Green Grass Fool You - The Spinners
6 Black Balloons - Syl Johnson
7 Soulshake - Peggy Scott & Jo Jo Benson
8 I Can't Make It Anymore - Richie Havens
9 You Got to Have Money - The Exits
10 Pull My String (Turn Me on) - The Joneses
11 Run for Cover - The Dells
12 On Easy Street - O.C. Smith
13 It Ain't No Big Thing - The Radiants
14 Summertime - Billy Stewart
15 In the Bottle - Brother to Brother
16 Hard Times - Baby Huey
17 Maggie - Johnny Williams
18 When - Joe Simon
19 Pouring Water on a Drowning Man - James Carr
20 That's Enough - Roscoe Robinson
21 Blackrock "Yeah, Yeah" - Blackrock
22 Golden Ring - American Gypsy
23 Search for the Inner Self - Jon Lucien
24 Life Walked Out - The Mist
25 In the Meantime - Betty Davis
26 Beautiful Feeling - Darrell Banks



 弊サイト読者には説明不要であろうが、そんなウェラーのプロフィールに触れておく。1958年5月25日にイギリスのサリー州Wokingで生まれたウェラーは、十代前半にリード・ギタリストのスティーブ・ブルックスらスクール・メイト達とバンドを組んで、ベーシストとして音楽活動を開始する。メンバー・チェンジの末にセカンド・ギタリストのブルース・フォクストンとドラマーのリック・バックラーが参加するも、76年にブルックスが脱退したことで、ウェラーはフォクストンにベースにコンバートすることを勧め、自らボーカル兼ギタリストとしてフロントに立ち、The Jam(1976-1982)を結成させた。
イギリス国内では18曲ものトップ40シングルをリリースし、その内「Going Underground」(1980年)や「Town Called Malice」(1982年)など4曲はナンバーワン・ヒットに輝いたが、新たな音楽的可能性を望んだウェラーの脱退宣言を機に、バンドは1982年12月のフェアウェル・コンサートをもって解散した。

 直ちにウェラーはThe Jam末期から音楽的交流があり共通のセンスを持つ、キーボーディストのミック・タルボット(元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ザ・マートン・パーカーズ)と共にThe Style Council (スタイル・カウンシル/1983–1989)を結成し、1983年9月にミニアルバム『Introducing the Style Council』でデビューする。翌84年3月のファースト・フルアルバム『Café Bleu』ではジャズ、ソウル、ファンクからボサノヴァまでと様々なジャンルの楽曲を収録しており、音楽ジャーナリスト達の間では賛否両論になったが、セールス的にはまずまずの成果を出した。続くセカンド『Our Favourite Shop』(1985年6月)では全英アルバム・チャートでナンバーワンとなり、アメリカを除く欧米と日本でも好セールスとなり、彼ら最大のヒット・アルバムになっている。
 その後『The Cost of Loving』(1987年2月)では、彼らが敬愛したシカゴのニューソウルを代表するカーティス・メイフィールド、ルーサー・ヴァンドロスの『Never Too Much』(1981年)などで知られる名エンジニアのカール・ビーティ、また同時代のアメリカン・ソウル兄弟デュオのThe Valentine Brothersにミックスダウンを曲ごとにオファーするなど、ブラック・ミュージックに最接近する。続く『Confessions of a Pop Group』(1988年6月)ではクラシカルな組曲や60年代中後期のビーチボーイにおけるブライアン・ウィルソンからの影響を感じさせ、ポップ・ミュージックとしては振り切り過ぎたサウンドが、当時の平均的な音楽リスナーにとってトゥーマッチだったのか、チャート的には芳しくなく、失速してしまった。
 1989年のシングル「Promised Land」(ジョー・スムースのカバー)ではガレージ・ハウスにチャレンジして、このサウンドでアルバム製作もおこなったのだが、所属レコード会社ポリドールからリリースを拒否され、惜しくも解散してしまった。この幻のラスト・アルバム『Modernism: A New Decade』が陽の目を見たのは、10年後の1998年10月だった。
 
 スタイル・カウンシル解散直後のウェラーは、ソロアーティスとしてレコード契約も出来ないままでいたが、1991年5月シングル「Into Tomorrow」をThe Paul Weller Movement名義としてソロデビューする。翌1992年9月には盟友のビリー・ブラッグが所属するGo! Discsよりファースト・ソロアルバム『Paul Weller』を皮切りに、『Wild Wood』(93年9月)、『Stanley Road』(95年5月)とコンスタントにリリースし、音楽性や商業的にもそのキャリアを復活させて、2024年の最新作『66』までに17枚のアルバムを発表している。


アナログLPレーベル

 さて本作『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』であるが、ウェラーの音楽活動の変遷を垣間見れる、良質なソウルやファンク・ミュージック26曲がコンパイルされていて、彼の熱心なファン向けだけとしてではなく、このコンピを切っ掛けにしてレアな曲をディグしていくのも一興ではないだろうか。
 ここからは筆者が気になった収録曲を解説していこう。冒頭の「God Made Me Funky」は、数多のレアグルーヴ・ナンバーの中でも聖典と呼ばれる、The Headhuntersの『Survival of the Fittest』(1975年)収録曲で、グループ名義のファースト・アルバムを代表する曲である。ベーシストのポール・ジャクソンのボーカルにゲストのポインター・シスターズのコーラスが掛け合うシンプルなコード進行で、ジャクソンとドラマーのマイク・クラークによる巧みなグルーヴに、当時20歳前後の若きギタリストのブラックバード・マックナイト(筆者はP-FUNKオールスターズの来日公演で彼のプレイを生で観ている)のファンキーなカッティング、マイルスの『Bitches Brew』(1969年)でも活躍したリーダーのベニー・モウピンによるフリーキーなテナーサックス・ソロが絡んでいく9分40秒の長尺ファンクだ。
 そもそもThe Headhuntersは、ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスの弟子筋では最も才能を有して成功した、ピアニストのハービー・ハンコックの12thソロアルバム『Head Hunters』(1973年)を切っ掛けとして、参加ミュージシャンにより結成されたフュージョン・ファンク・バンドだった。因みにウェラーはスタイル・カウンシルのデビュー・シングルを「Speak Like A Child」というタイトルにしており、曲調やサウンド共に全く異なるのだが、ハンコックの6thソロアルバム『Speak Like a Child』(1968年)のタイトル曲からインスパイアしていたのではないだろうか。この様に異ジャンルからの飽くなき吸収力やセンスにウェラーらしさを感じさせる。
Herbie HancockとThe Style Council の
各『Speak Like a Child』

 Collins & Collinsの「Top of the Stairs」は、フィラデルフィア出身で父親もミュージシャンだったビル・コリンズが妹トニー・コリンズを誘って組んだ兄妹デュオのシングル曲だ。モータウン黄金期を支えたソングライター・チームで、夫婦デュオとしても活動したニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンから提供され、唯一のアルバム『Collins And Collins』(1980年)にも収録されている。70年代ギャンブル&ハフの元でアレンジャーとして、Soul SurvivorsやThe Three Degrees等のセッションに参加していたジョン・デイヴィスが本曲のプロデュースとアレンジを手掛け、フィリーソウルの本極地であるSigma Sound Studiosでレコーディングされているので、この曲にもフィリーの名残がありつつ、ディスコ・ムーブメントで希釈された70年代ソウルからブラック・コンテンポラリーへのミッシングリンクになるであろうモダン・ソウルが展開されている。とにかくアシュフォード&シンプソンによるソングライティングとデイヴィスによるアレンジが素晴らしく、このコンピレーションの中でも人気曲になるだろう。この兄妹デュオはシングル3枚とアルバム1枚で活動を終えた。

 ここからはマイナーながら良曲にも触れたい。イギリスのレアなノーザン・ソウルとしてディグされているのが、The Exits の「You Got to Have Money」だ。彼らはロサンゼルス出身の4人組ボーカル・グループで、60年代後半に4枚のシングルのみリリースして、リードシンガーのジミー・コンウェルは解散後はソロシンガーとなり活動を続けた。この曲は1967年にGemini Recordsからリリースされたデビュー・シングル「Under The Street Lamp」のカップリング曲で、クレジットによるとメンバーの連名によるオリジナル曲だが、TEDDY RANDAZZO(テディ・ランダッツォ)に通じる作風が耳に残って離れない。アレンジ的には2台のギターにベースとドラムの基本的なリズムセクションにコンガを加えているのが注目点で、恐らくH=D=Hが手掛けていた頃のフォートップスを意識していたのだろう。
 Brother to Brotherによるギル・スコット・ヘロンの「In the Bottle」(1974年)のカバーは、ノーザン・ソウル・ブームの時期に散々語られてきたので軽く触れるに留めるが、オリジナルのThe Midnight Bandの演奏に比べて、このヴァージョンの方がタイトで巧いのは間違いない。ベーシストのシンコペーションとドラマーの正確なキックを聴けば理解出来るが、彼らはシルヴィア・ロビンソンが設立したTurbo Recordsに所属しており、本作のレコーディングでは、The Momentsのアル・グッドマンとハリー・レイが共同プロデューサーとして仕切っていたので、手練なミュージシャン達が参加していたのだろう。

 Baby Huey(ベイビー・ヒューイ)の「Hard Times」もノーザン・ソウル・ナンバーとしてポピュラーで、シカゴのCurtom Recordsから1971年にリリースされた『The Baby Huey Story: The Living Legend』に収録され、同レーベルを設立したカーティス・メイフィールドがソングライティングとプロデュースを手掛けている。当時のカーティス・サウンドに通じるサイケなワウワウをかましたギターをフューチャーした、ブルース進行のファンキーなシカゴ・ソウルである。この曲はThe Headhuntersの「God Made Me Funky」と同様に、多くのヒップホップ・アーティストにサンプリングされているが、サビのホーンのリフ・パターンは、ピーター・ガブリエルが1986年に全米チャートナンバーワンを果たし大ヒットさせた「Sledgehammer」(『So』収録)にもオマージュされている。
 残念なことにヒューイは、本作レコーディング期間の70年10月に薬物使用の心臓発作により26歳の若さで急死したため、カーティスが残りのレコーディングを完成させたという。それによりヒューイのバックバンドThe Babysittersの演奏ではなく、Curtomの手練なセッション・ミュージシャン達が差し替えている可能性があり、この曲でも明らかにヘンリー・ギブソンらしきコンガのプレイが左チャンネルから聴ける。

Life Walked Out / THE MIST 

 The Mistの「Life Walked Out」もマイナーながら良曲だ。ノーザン・ソウルとして注目されていたことで、2018年に日本でアナログ7インチとしてリイシューされたのが記憶に新しい。謎の多いグループなのだが、彼らはカンザス出身の4人組ボーカル・グループで後にThe Visitorsとなる。地元カンザスでThe Chi-litesとのライブ共演により、同グループのユージン・レコードの知己を得てBrunswick RecordsのサブレーベルのDakar Recordsからシングルを4枚リリースしている。このThe Mist時代のシングルはグループには無許可でTwinight Recordsから1971年にリリースされたもので、そのような複雑な契約になった経緯はあるにしろ、この「Life Walked Out」のクオリティには目を見張るものがある。
 ソングライティング・クレジットはBilly Durham、Leamon Coxとプロデュースも手掛けたMark Davis(マーク・デイヴィス)の名義になっているが、キーマンのマークに注目したい。若干14歳から名門のChessやVee Jay Recordsでセッション・ピアニストや写譜スタッフを務めキャリアをスタートさせ、弊誌ではお馴染みのソフトサイケ・バンドのRotary Connectionや同メンバーだったミニー・リパートンの初期ソロ作で裏方を務め、その後Motown Recordsでマーヴィン・ゲイやダイアナ・ロス、The Jackson 5といった大物アーティストのレコーディングに関わるようになる。この曲の陰影に満ちたコンポーズの素晴らしさはそんなマークの才能に寄るところが大きい。バッキングは恐らくThe Chi-litesでも演奏しているシカゴ・ソウル系のスタジオ・ミュージシャン達ではないだろうか。

 ラストのDarrell Banks(ダレル・バンクス)の「Beautiful Feeling」は、オハイオ州マンスフィールド出身のソウルシンガーのセカンドアルバム『Here to Stay』(1969年)からシングルカットされたミドルテンポの感動的なバラードだ。1937年7月生まれのバンクスはデトロイトに出て、66年にRevilot Recordsと最初の契約をし、その後名門アトランティック系のATCO Recordsや名門のStax系のVoltと契約して生涯で2枚のアルバムと7枚のシングルをリリースした。オーティス・レディング系譜のシンガーとして才能に恵まれなら、悲運にも1970年に警官に射殺され32歳の若さで亡くなっている。
 この曲はデトロイトをベースに活動するThe Brothers Of SoulのBobby EatonとFred Bridges、Knight BrothersのRichard Knightの3名のソングライティングで書かれており、名匠Don Davisがプロデュースを手掛けている。豊かなオーボエのオブリガード、それとストリングスはヨハン・パッヘルベルの「カノン」中盤のフレーズを模して奏でるなど、アレンジ的にも凝っていて素晴らしく、このコンピを締め括るに相応しい名曲だ。
 
 最後に総評として、ウェラーの類まれなソングライティング・センスを育んだ、ノーザン・ソウルを主としたソウル・ミュージックの懐の深さを詰め込んだ、良質なコンピレーション・アルバムであると確信した。この解説を読んで興味を持ったポール・ウェラーの熱心なファンや弊サイト読者は是非入手して聴いて欲しい。

(テキスト:ウチタカヒデ














2025年3月20日木曜日

ヤギの見つめた音楽の記憶〜1966年のフィルム・ミステリー〜San Diegoそして『Pet Sounds』

        

  昨年数枚のポジフィルムを手に入れたことから、筆者の驚くべき発見の旅が始まった。ポジフィルムには、1966年の日付が記されており、スキャンしてみると数匹のヤギが写っていた。何の変哲もない動物園の風景と思いきや、そのヤギたちの姿には妙な既視感があった。しばらく考えていると、あるアルバムのジャケットが脳裏をよぎった——The Beach Boysの名作『Pet Sounds』だ。 
 さらに思いを巡らせると、筆者はSan Diego動物園グッズを長年収集してきたが、その中でも特に敷地内の子供向けエリアの写真は、滅多に目にすることがなかった。その場所が、正に『Pet Sounds』の撮影場所そのものであって、このポジフィルムの中に現れる場所と一致するのではないか?
 筆者は、今まさに何かを掴みかけているような感覚に包まれながら、さらなる証拠を追い求めることとなる。『Pet Sounds』のジャケット写真といえば、メンバーたちがヤギに餌を与えているシーンで有名だ。この写真はSan Diego動物園で撮影されたと言われているが、筆者が手にしたポジフィルムのヤギたちと見比べると、どこかで見たような個体がいた。ひょっとすると、このヤギは同時代に存在し、The Beach Boysのジャケットに登場したヤギと何らかの関係があるのではないか? この仮説を裏付けるために、筆者はさらに深く調査を進めた。
 ここにきて、さらに深く掘り下げる必要がある―ポジフィルムの撮影場所が、果たして「Pet Sounds」のジャケット画像と一致するのか? この疑問が頭から離れず、再度ジャケットを手に取る。そして、そのヒントを探す旅が始まった。 
 「Pet Sounds」のジャケット。誰もが一度は目にしたことがある、あの象徴的な画像。何度も何度もその細部を見つめながら、筆者は少しずつ、ある一致点を見つけ始めた。ジャケットの左隅、あの細かい部分に、思いもよらぬヒントが隠されていたのだ。 
 ポジフィルムをもう一度見返すと、その中の一枚に、 まるでその屋根の柄が重なるような瞬間が現れる。あの畜舎の屋根の模様が、ポジフィルムのある部分の柄と不思議なほど一致しているではないか――。これはSan Diego動物園のものに間違いない。 それから、ジャケット写真のアウトテイクを入手し、そこに写っているヤギの特徴と、筆者のポジフィルムに収められていたヤギの特徴を比較した。耳の形、角の長さ、毛の色合い、体格……細かく照らし合わせると、やはり一致する可能性が高い個体がいることに気づいた。 
 オリジナル画像のトリミング前の状態で、『Pet Sounds』の撮影時のヤギたちの写真を再確認してみる。最初に見たときは、明確な答えを見つけられずにいた。しかし、何かが引っかかる――その記憶の片隅に、ふとある個体が浮かんだのだ。
画像A左端の白黒ヤギ

 アウトテイク画像を見てみよう。 画像Aをじっくりと見つめ直してみると、そこに見覚えのあるヤギの姿があった。いや、もしかしたらこれこそが、筆者が探し求めていた個体ではないか?と感じた瞬間だった。
画像B右端の白黒ヤギ

 そのヤギの毛皮の模様は、他のどのヤギとも明らかに異なり、目を引く特徴があった。そして、その特徴的な毛皮の模様をよく見てみると、画像Bにも酷似する個体がいた――これが決定的なヒントだ。 

筆者蔵のポジフィルム

 ここで筆者の中に浮かんだ仮説は、撮影がどの順番で行われたのかを考慮したものだ。Al、Mike、Dennis、Brian、Carl――彼らの立ち位置を踏まえると、撮影はおそらくB→Aの順番で進められたに違いない。ヤギは、まずAlに向かって突進し、次にその動きがBrianとCarlの間に向けられる。そして、最終的にこのヤギは、Brianに撫でられているのだ。 
  San Diego動物園を訪れたThe Beach Boysだが、彼らの訪問は決して穏やかなものではなかった。当時の新聞記事によると、彼らは新アルバム『Our Freaky Friends』(後に『Pet Sounds』に変更)のジャケット写真を撮影するために動物園を訪れた。 記事には、撮影中に動物たちがストレスを感じ、動物園の広報担当者Bill Seatonが「動物たちはストレスで壊れそうだった」とコメントしたことが記されている。特に、メンバーがヤギやゾウ、ゴリラとポーズを取る際、動物たちが慌てていた様子が報じられていた。最終的に、動物園側はThe Beach Boysの訪問を「もう歓迎しない」とまで言い切ったという。
The Beach Boysの行状を報道した
当時の地方紙記事

 San Diego動物公園とWilson一族には、音楽の世界では知られざる歴史的な繋がりがある。数代前、Wilson一族はアメリカ中部から西部への移住を決意し、SanDiego近郊に葡萄畑を開くことに挑戦した。しかし、厳しい土地条件と経済的な困難に見舞われ、彼らの試みは残念ながら失敗に終わった。その結果、Wilson家は尻尾を巻いて故郷に戻ることになったという。 しかし、この失敗の歴史には一つの皮肉が待っていた。葡萄畑の近くには、後にSan Diego動物公園の姉妹施設となるサファリパークが開業している。そして、その「仇の地」であるSan Diegoが、後にWilson一族にとって重要な舞台となったことは、まさに運命的な出来事だった。 Wilson家の歴史を受け継いだBrianは、父祖の失敗した地であるSanDiegoを舞台に、音楽の名作『Pet Sounds』を生み出した。Brianは、父祖が苦しんだ土地を逆に、自らの芸術的表現の場として活かしたのだ。このアルバムは、彼の音楽的才能だけでなく、Wilson家の歴史に対する一種の復讐のような意味も込められているのかもしれない。 さらに興味深いのは、Wilson家の辛酸を舐めた葡萄畑が、Brian自身も関わったアルバム『Orange Crate Art』のパッケージに使われているという事実だ。このアルバムは、BrianとVan Dyke Parksの共同制作によるもので、Wilson家の過去を象徴するかのように、葡萄畑の写真がジャケットに使われている。 
1904年当時のThe Wilson grape ranch

 このように、Wilson家の歴史とSan Diegoは、Brianの音楽と深い繋がりを持っている。父祖の失敗した地が、彼にとっての創作の源泉となり、名作『Pet Sounds』という音楽的な遺産を生み出したことは、まさに皮肉であり、また感動的でもある。Wilson一族の歴史が音楽を通じて新たな意味を持つ瞬間は、音楽ファンにとっても、また新たな視点を提供してくれる。
 
  筆者は長年にわたってSan Diego動物公園関連のグッズを細々と収集してきたが、その中でも特に秀逸なのが1965年のパンフレットだ。

 このパンフレットに使用されている書体がCooper Blackであり、『Pet Sounds』のデザインワークに何かしらの影響を与えているのは明らかである。 Cooper Blackは、20世紀初頭に生まれた特徴的な書体で、太く丸みを帯びたデザインが特徴だ。この書体は再び注目され、特にポップカルチャーや音楽業界で多く使用されるようになった。『Pet Sounds』のアルバムジャケットに採用されたロゴフォントの印象と、緑を基調にした1965年のSan Diego動物園パンフレットのデザインには共通点が多く、The Beach Boysのデザインチームが何らかの形でこのパンフレットからインスピレーションを得た可能性は否定できない。
左下が撮影場所のChildren's Zoo

      
      Children's Zoo拡大図:右上に件の畜舎らしきものが確認できる

 筆者の脳裏に残る、あのひっかかる点。まだ解決しきれていない、このヤギの謎がどうしても気になる。何度も再チェックし、再調査を繰り返す中で、 筆者はついにそれを見つけた――いや、むしろそれが私を見逃すはずがなかったのだ。 何かで見たような気がする、その姿。何度も見返すうちに、ある記憶が蘇った。それは、「Sub Pop」からリリースされたシングル盤(1996年 SP363)のジャケットだ。あのシングル盤に使われていたヤギが、ポジフィルムに写っているヤギと一致しているのではないか? 白黒のヤギの後ろ姿が中心となるそのジャケット。写真のディテールは異なれど、そのヤギの輪郭や毛皮の模様、そしてその存在感が、ポジフィルムに映るヤギの姿と最終的に重なった。まさにこれこそが、筆者が探していた「何か」だった。 そして、その全体像が徐々に明らかになってきた。

 撮影の順番を考慮してみると、筆者は次第にその流れを辿り始めた。順番としては、「Sub Pop 画像→画像b→画像a」の流れだ。まるでそれが 一つのストーリー となって進行するかのように、ヤギの姿が変化していく。特に注目すべきは、Sub Pop画像のアングルがそのヤギの最も特徴的な角度を捉えており、そこから次第にヤギの動きが視覚的に繋がっていく。 ここで重要なのは、このヤギの動きだ。最初に「Sub Pop」のジャケットで撮影されたこのヤギが、次第に動きながらカメラの前に移動し、そして最終的に「画像a」のアングルに辿り着く。これらの写真が、単に個別に存在しているわけではなく、まさに 一つの流れ として機能しているのだ。 これからも、歴史に埋もれた小さな発見が、意外な形で名作と結びつく瞬間があるかもしれない。まるで音楽の中に隠された一音が、新たな意味を持つように、過去の記録もまた、私たちに新しい物語を語りかけてくれるのではないだろうか。

近年発見されたCBSのニュースフィルム
ここにもいた

2025年3月8日土曜日

松尾清憲 40thアニバーサリーライブ Matsuo Kiyonori 40th. Anniversary Live

 ソロデビュー40周年を迎えたシンガー・ソングライターの松尾清憲(まつお きよのり)が、鈴木慶一と白井良明(共にムーンライダーズ)杉 真理をゲストに迎え、一夜限りのスペシャルなアニバーサリーライブを5月3日に開催する。
 昨年6月に12thアルバム『Young and Innocent』(SOLID RECORDS / CDSOL-2028)をリリースして、往年の音楽ファン達から好評だったのが記憶に新しい。サウンド・プロデューサーにはmicrostar佐藤清喜に迎え、これまでにない”新たな松尾清憲の音楽フィールド”を感じさせたのもこの成功に繋がっている。 同作を聴いて気に入った読者は、明日3月9日10時から一般チケット発売となるので、是非このメモリアルなライブにも足を運んで欲しい。
 
『Young and Innocent』


 改めて松尾のプロフィールに触れておくが、1980年に「伝説のバンド」とリスペクトされた、”CINEMA”(シネマ/他のメンバーは鈴木さえ子、一色進など。 プロデュースはムーンライダーズの鈴木慶一)でデビューし、音楽通を唸らせるそのブリティッシュロック系サウンドは話題となる。
 そしてCINEMA解散後の84年にソロデビュー・シングル「愛しのロージー」(プロデュースはライダーズの白井良明)を発表しCMにも使われスマッシュ・ヒットする。翌年同曲を収録したファースト・ソロアルバム『SIDE EFFECTS~恋の副作用』をリリースし、CINEMA時代以上に音楽ファンに知られる存在となった。
 また87年には『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』の参加や「バカンスはいつも雨(レイン)」のヒットで知られるシンガー・ソングライターの杉真理とのポップス・バンド、“BOX”(他のメンバーは小室和幸、田上正和)、同じく杉と96年に”Piccadilly Circus”(他のメンバーは伊豆田洋之、上田雅利など)を結成してアルバムをリリースしている。
 2023年にはCINEMA時代から旧知の仲である鈴木慶一とのユニット「鈴木マツヲ」を結成し、『ONE HIT WONDER』(日本コロムビア)をリリースしたばかりである。
 ソングライターとしてもこれまでに、鈴木雅之のヒット曲「恋人」(1993年)をはじめ、稲垣潤一からおニャン子クラブまで幅広く多くのアーティスト、アイドル達に楽曲を提供している。 

松尾清憲 40thアニバーサリーライブ
Matsuo Kiyonori 40th. Anniversary Live

出演者の体調不良により
中止が発表されました

開催日時:2025年5月3日(土)
開場:16:30 開演:17:30

会場:新代田 FEVER
東京都世田谷区羽根木1-1-14 新代田ビル1F 

出演:松尾清憲with Velvet Tea Sets 
(小泉信彦(key)/平田 崇(g)/高橋結子(dr)/五十棲千明(b))

スペシャルゲスト: 
鈴木慶一(CINEMAプロデュース・鈴木マツヲ)
白井良明(1st~3rdアルバムプロデュース)
杉 真理(BOX・Piccadilly Circus・Co-Composer)

■Sチケット(自由席):9,500円 (+1drink) 
Sチケット(自由席)=椅子席
※整理番号順でのご入場となります。
■スタンディング:7,500円 (+1drink) 
各チケットは入場時ドリンク代600円頂きます。 

一般チケット発売:
3月9日(日)10:00AMより発売開始!
購入ページURL


(テキスト:ウチタカヒデ


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